任天堂株式会社の『スーパーマリオ』シリーズについてご紹介!【AAAタイトル紹介Vol.9】

 

1985年に発売された『スーパーマリオブラザーズ』の発売を皮切りに、これまで多くの『スーパーマリオ』シリーズや派生作品を生み出してきた任天堂株式会社。2020年には『スーパーマリオブラザーズ』が35周年を迎えています。第1作目の発売以降、その派生作品も含めた販売本数は6億本を超えており、歴史上最も売れたゲームシリーズとしてギネス記録にも認定されています。
今回はそんな『スーパーマリオ』と、任天堂株式会社、携わったクリエイターについてご紹介します!

『スーパーマリオ』とは?

今日の家庭用ゲームの認知度を高めるのに最も貢献したソフトといわれている『スーパーマリオ』シリーズ。社会現象ともいえる空前の大ブームを巻き起こし、一度でもゲームをしたことがある人であれば知らない方はいないのではないでしょうか?
本シリーズに登場する主人公“マリオ”は、リオデジャネイロ五輪の閉会式でも安倍前首相が「マリオ」に扮し登場し、日本におけるコンテンツの代表として国内外で認知されている事は言うまでもありません。

 

横スクロール型のアクションゲームのシステムとして、従来まであった、“敵に触れるとダメージを受ける”というアクションゲームのフォーマットから、敵を”踏む”ことを攻撃方法として確立したゲームでもあります。敵から逃げるだけではなく防御と攻撃の両面を併せ持つシンプルなゲームですが、今日の日本におけるアクションゲームの基本形態として集約されたヒット作と言えます。

 

発売20周年を迎えた2005年以降、5年毎の9月13日前後に、ハード・ソフトを問わない大規模なアニバーサリーイベントが行われるのが恒例となっており、2005年にはゲームボーイミクロやファミコンミニの発売、2010年には『スーパーマリオ』25周年仕様Wiiや『スーパーマリオコレクション スペシャルパック』の発売、2015年には”スーパーマリオ30周年記念ライブ“が開催されました。

ゲームの概要(発売日/ジャンル/対応ハード/声優)

先述の通り、第1作目の『スーパーマリオブラザーズ』については、横スクロール型のアクションゲームとしてシンプルな作り、かつアイテムや地形の活用といった戦略的な手法がユーザーに評価され、爆発的なヒットを生みました。
主人公である配管工の兄マリオとその弟であるルイージ、ヒロインであるピーチ姫、ボスキャラのクッパといった今でもなじみのあるキャラクターが登場しますが、この主要キャラについては発売から35年がたった今でも変わらず登場します。

 

また、社会現象を巻き起こした代表作としては、『スーパーマリオ64』が挙げられます。
任天堂が1996年6月23日に発売したNINTENDO64用のアクションゲームとして、本ハードにおいて第1作目としてリリースされました。
『スーパーマリオ』シリーズ初の3Dアクションゲームである本作は、NINTENDO64の3Dスティックを活かして、3Dで描かれた世界を自由自在に動き回る事が出来る画期的なゲームとして登場し、累計販売本数は192万本。レーシングゲームである『マリオカート64』の次に売れたゲームであり、後の3Dアクションゲームに決定的な影響を与えています。

開発について

任天堂株式会社

任天堂株式会社は1889年に創業した老舗企業であり、TOPIX Core30の構成銘柄の一つでもある大企業です。京都府京都市に本社を置いており、玩具やコンピューターゲームの開発/製造/販売を行っています。2020年度3月期決算によれば、売上高は1兆7589億円、純利益は4803億円になっています。

 

今でこそ世界を代表するエンタメ企業として事業を展開していますが、創業当初は花札の製造からスタートしました。京都の鴨川付近に本社を構え、販路拡大としてたばこ製造会社と協業をするなどの取り組みにより、1953年まで花札製造を主力として事業を続けていました。

 

西洋文化を取り入れる事で事業拡大を考えた1953年には、日本国内発であるトランプの販売を開始し花札との決別を図ります。しかし1958年、山内溥社長が米国視察時に現地のトランプ工場を目にした際、あまりのインパクトの無さに”もっと事業を多角化していかなければいけない“と決意します。

 

その後花札、トランプ、カルタといったアーケードゲームの製造を続け、1963年には初の株式情報を果たします。当時は小さな花札屋さんという程度の知名度であったと言われていますが、その後はゲームセンターの展開、ファミリーコンピュータの発売、競合がゲーム市場に参入してきた際の、岩田聡社長による業界競争の激化等の歴史を経て、現在に至ります。

『スーパーマリオ』シリーズを手掛けた主なクリエイター

宮本茂(略歴/手掛けた作品)

宮本茂氏は、日本のゲームプロデューサーであり、任天堂株式会社代表取締役フェローを務める同社の情報開発本部本部長です。他にも専務、クリエイティブフェローなどを歴任しており、『スーパーマリオ』の生みの親として知られ、ゲーム関係者として史上初となる文化功労者に選定されています。
1977年に金沢美術工芸大学を卒業後に任天堂に入社した宮本氏。当時ユニークな商品を数多く発売している社風に興味を抱いたことが志望動機であったそうです。

 

入社直後は企画部に配属され、かるたの版下のデザインや麻雀のラベル作成など小さな仕事をこなしていましたが、1979年からアーケードゲーム『シェリフ』、『スペースファイアバード』などの筐体デザインや家庭用ゲーム機『ブロック崩し』などの本体デザインを手掛けるようになり、1979年に稼動を開始したアーケードゲーム『スペースフィーバー』では筐体デザインだけでなくキャラクターデザインも担当しました。
その後1981年に『ドンキーコング』を完成させ、これが世界的なヒットを記録。また、この作品は後に任天堂の看板キャラクターになる”マリオ“のデビュー作にもなっています。

手塚卓志(略歴/手掛けた作品)

手塚卓志氏は、任天堂のゲームクリエイターであり、2018年6月より同社執行役員および企画制作本部上席統括に就任しています。ちなみ愛称は、TENTEN(てんてん)と呼ばれており、『ゼルダの伝説』シリーズ、『どうぶつの森』シリーズなども手掛けています。

 

1984年に大阪芸術大学芸術学部デザイン学科を卒業後、任天堂へ入社しており、家庭用ゲーム機・ファミリーコンピュータの黎明期からゲーム制作に携わっています。1985年発売の『スーパーマリオブラザーズ』を共に制作した任天堂の宮本茂氏とは長年にわたり共同開発を行っており、当時多忙だった宮本氏に代わり、『スーパーマリオブラザーズ2』のほとんどのデザインを担当。宮本氏と協力しながら、その後のほとんどのマリオシリーズに携わっています。

まとめ

大人気ゲーム『スーパーマリオ』シリーズについて、作品の概要、スクウェア・エニックスの略歴、開発クリエイターについて紹介してきました。
ヒットタイトルのゲーム内容だけでなく、その歴史や携わった要素を紐解く事で、より作品に対する理解や共感を生み出していくきっかけになれればと思います。

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