携帯ゲームの父、横井軍平の半生とは?独自のゲーム哲学についても解説します!


ゲームボーイシリーズ、十字キーといった、現在の携帯ゲーム機のスタンダードを作り出したゲームクリエイター、横井軍平。1997年にその生涯を終えるまで、自身の作りたいゲーム開発を、独自の哲学で行ってきた業界のパイオニアでもあります。
本記事では、横井氏の生涯と哲学について解説していきます。

横井軍平とは?

横井軍平氏は、1941年から1997年にかけて活躍したゲームクリエイターです。ゲームボーイシリーズを始め、任天堂株式会社の数々の携帯型ゲーム機に確信を起こし、その貢献度の高さから、「携帯ゲームの父」と呼ばれています。

任天堂株式会社時代

横井氏は1965年、同志社大学を卒業後に、当時京都で花札・トランプメーカーであった任天堂株式会社に入社します。今でこそ日本や世界に影響を及ぼす巨大ゲーム会社になった任天堂ですが、当時はまだあまり名前が知られておらず、横井氏は任天堂株式会社として初の工学部卒入社メンバーだったと言われています。

 

当初は任天堂の電気主任技術者として、設備機器の保守点検業務を行っていましたが、暇つぶしで格子状の伸び縮みするおもちゃを作り遊んでいたところを、当時の社長である山内溥氏に見つかり、社長室に呼び出されます。
横井氏自身は処罰を受けることを覚悟して社長室に向かいましたが、山内社長から出たのは、「その遊びをゲーム化し、商品化しろ」という言葉でした。

 

改良の結果1966年に生まれた玩具、『ウルトラハンド』は無事任天堂において商品化。商品名は、当時流行っていた”ウルトラC”が由来になっています。発売当時の定価は600円でしたが、予想以上の売り上げを残し、一時はコピー商品が市場に出るほどの商品になりました。
このヒットをきっかけに「開発課」が設置され、横井氏は任天堂株式会社の玩具開発を担当することになります。
開発課時代には、後述する枯れた技術の水平思考を元に沢山の玩具を開発し、『ウルトラマシン』、『ラブテスター』、『光線銃シリーズ』などを手掛け、いずれもテレビや新聞で話題になるなど、業界にその名を轟かせていきます。

 

開発課自体は1979年に分割され、横井氏は開発第一部の部長として、1996年まで活躍しました。携帯ゲーム機の『ゲームボーイシリーズ』、『バーチャルボーイ』などを手掛け、今でこそ主流になっている「十字キー」を考案。横井氏の任天堂での功績は、後の任天堂発のゲームだけでなく、現在リリースされる全ての携帯ゲームの礎になっているといっても過言ではないでしょう。

独立後

家庭用ゲーム、『NINTENDO 64』がリリースされた1996年、東京支社で行われた業界向け発表に出席した後、横井氏は任天堂を退職します。
その後週刊誌による不当な記事が出回ったことから、任天堂の退職理由を、『文藝春秋』1996年11月号において、『私はなぜ任天堂を辞めたか』を執筆しました。

 

退社後は自身が作りたい商品開発に集中するために、株式会社コトを設立。『くねっくねっちょ』の企画や、『ワンダースワン』の開発アドバイザーとしても参加しました。ワンダースワン用のパズルゲームヒット作、『GUNPEY』は横井氏が監修したゲームでもあります。

 

そして1997年の石川県において、交通事故による外傷性ショックのため死去。享年56歳でした。

 

横井氏没後の2003年に行われたゲーム・デベロッパーズ・チョイス・アワードでは、横井氏は特別功労賞を受賞。現代の携帯ゲーム機のスタンダードを作り出した偉大なるクリエイターとして、ゲーム業界に大きな影響を与えました。

横井軍平の哲学

横井氏の代表的なゲーム哲学として、「ヨコイズム」「枯れた技術の水平思考」の2点が挙げられます。以下では2つのゲーム哲学について解説していきます。

ヨコイズム

横井氏は商品開発時に、商品のコミュニケーション性を重視していたという特徴があります。例えば、男女の愛情度を測る玩具、「ラブテスター」開発の動機は、”女性と気兼ねなく手を繋げる”というものでした。

 

また当初重要視していなかった、ゲームボーイの通信サポートですが、これは後にリリースされた、『ポケットモンスター』も使用される事になり、ユーザー間コミュニケーションを図るための通信機能は、携帯ゲームにおける重要な要素になりました。

 

社内では、管理職も平社員も違う部署の人間でも対等な立場であるという考えを貫き、これらのヨコイズムは、現在の任天堂株式会社におけるゲーム開発方針に大きな影響を与えています。

枯れた技術の水平思考

横井氏は「枯れた技術の水平思考」という哲学を、自身のゲームにも反映していました。

 

「枯れた技術」とは、”すでに万人に使われ、メリット/デメリットが明らかな技術”を意味しており、「水平思考」とは、”既存の考えや固定概念に捉われず、物事の視点を新しい確度から見つめる”という意味を指しています。
「当たり前になった技術を、異なる用途を組み込むことで全く新しい商品を生み出す」という姿勢は、結果的にゲーム開発のコストを抑えることができます。

 

実際にリリースされた、『光線銃SP』では、通常電池として扱われる太陽電池を、光に反応するセンサーとして使用するなど、自身の哲学を反映させて開発に臨んでおり、据え置き型ゲーム機の『ファミコン』や『スーパーファミコン』にも反映されています。

まとめ

携帯ゲーム機の父として、現在のゲーム開発に大きな影響を与えた横井氏。とくに彼が持っていたゲーム哲学は、現代のゲームクリエイターにも受け継がれていく事でしょう。
一人のゲームクリエイターの生涯、考え方を知る事で、より広いゲーム業界への知見を持つことにも繋がります。
今後もGAMECREATORSでは、様々なゲームクリエイターについて紹介していきますので、是非参考にしてみて下さい。

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