大手パブリッシャーから開発依頼が相次ぐ実力派デベロッパー”株式会社ハ・ン・ド”! そこで働くやりがいや今後の展望に迫る!!
本社北海道を起点に、東京・名古屋にスタジオを展開する株式会社ハ・ン・ド。
大手パブリッシャーの求める高い要求をこなしてきた実力派デベロッパーであり、家庭用だけでなくスマホ向けや子供向け機器の開発も手掛けています。
今回は、執行役員で東京と名古屋スタジオ長兼ゼネラルマネージャーの鈴木貴宏氏にハ・ン・ドの強みとそこで働くやりがい、今後の展望についてお話をうかがいました。
エンドユーザーに名前を知ってもらいたい
――最初にハ・ン・ドという会社の概要を教えて下さい。
主にゲームの開発をしています。
例えばバンダイさんのキッズアーケードゲーム『アイカツ!』シリーズを作っているのはハ・ン・ドです。
しかし、アーケードの多くが電源を入れた時にしかロゴが流れない物が多いんです。
だからお客さんの目にはハ・ン・ドの名前が見えない。
そういうのもあってなかなかエンドユーザーに社名が知られていないし、RPGといえば○○社というようなしっかりとしたイメージが湧きにくいのではないかと個人的には思っています。
大手パブリッシャーの役員の方々やプロデューサーさん、例えばですが、スクエニさんやバンダイナムコさん、レベルファイブさん等、ゲーム業界の皆様には「かわいい系のものはハ・ン・ドならそつなくやれる」と覚えてもらっているのですが、ゲームを実際に遊んでくれるエンドユーザーには、まだまだ名前が届いてないという印象です。
――特にゲーム業界への就職志望者に名前を知って欲しい。
専門学校や大学を回って感じるのは、多くの方がRPGを好きというのもあるんでしょうけど、殆どの学生がRPGを作りたいと思いゲーム業界を目指している印象を受けますね。
うちはどっちかというとアイドルゲームが目立っていますが、それ以外にもリズムゲーム、クイズや釣り、パズル等のカジュアルゲーム、あとはアクションやアクションRPG。
様々なジャンルを幅広く開発させてもらっている状態です。
RPG1本で!というような感じではない。
それだけ社内に様々なジャンルのノウハウを持ったメンバーがいるということでもあるんですが、この辺をちゃんと学生の皆さんに説明すると「このタイトルもハ・ン・ドさんなんですね!」と知ってもらえることも増えました。
いまはこのタイトルといえばハ・ン・ド、このジャンルといえばハ・ン・ドというように名前の挙がる会社になるために色々やっているところです。
――ハ・ン・ドについて詳しく伺う前に、鈴木さんの経歴を聞いておきたいと思います。
僕は小学校4年くらいの時にPC6001(※1)を買って、ハドソンさん、T&Eさん、日本ファルコムさんとかのゲームをずっと遊んでいました。
あとはマイコンBASICマガジン(※2)を読んでプログラムを組むようになったんですが、そっちはマシン語で挫折してしまいました。
中学校では極真空手をやっていましたが、一方でゲームはずっと好きで遊んでいましたよ。
PCだけでなく、ゲームセンターのゲームやボードゲーム、シミュレーションゲーム、TRPGとかのアナログゲームをやったり作ったりしていました。
大学卒業後は、マーケティング全般に携われる通販会社に入社し、新卒同期8名の中でも最多の商品開発に関わりました。
その後転職をして、米国大手玩具メーカーの日本支社Hasbro Japanに入社。
抜擢人事でGIJOEの日本初オリジナル商品のプロデューサー/ディレクターを務めることになります。
これ以外にもいくつもの商品企画を担当し、幸いなことにいくつかのヒット作品を出すことが出来ました。
転機が訪れたのは、大学時代から社会人になってもやっていたアメリンフットボールが縁で、セガAM2研の副部長にシェンムーチームへと誘われたこと。
セガに入社し、鈴木裕さん率いるシェンムーチームのモーションキャプチャースタジオの管理業務や、それ以外では副部長のアシスタント業務等たくさんの仕事を経験しました。
その後、親戚のすすめで、カプコンで開発部長を務めた藤原得郎さんを紹介され、藤原さんが立ち上げた独立系デベロッパーへ転職し、藤原さんのアシスタントプロデューサーとして宣伝周りや開発サポート等を行いました。
そして30歳の区切りを前にして、父親が経営する穀物の卸問屋に取締役として就任します。
――ゲームと全く関係ないんですね(笑)
そうなんです(笑)
事業は上手く行っていたのですが、セガ時代の先輩に「宣伝周りがわからないので、メンバーの育成やアドバイスをして欲しいから手伝って」と言われ副業で働くことになりました。
この時お手伝いしていたPS2版「バーチャファイター4」のパブリシティの仕事を通して、やはりクリエイティブな仕事で生きていきたいと、ゲーム業界復帰を考えるきっかけになりました。
セガに再入社し、鈴木裕さんの元で企画プロデュースセクションのマネージャーをしつつ、アーケード、PCオンライン等の開発ディレクションやプロデュースに携わりました。
その後、聖闘士星矢オンラインの立ち上げ、ディレクションプロデュースをきっかけにネットワーク事業部に転部することになりました。
聖闘士星矢オンラインも一段落した頃、自分の方向性や可能性も試したくなって、デベロッパーでしっかりゲーム開発に向き合いたいと転職を意識し始めました。
ですが、退職相談の最中に「うまく行ってないタイトルがあるから面倒見てくれ」という話になり、初音ミクのDLCタイトルを数本手掛けることになぜかなっていました(笑)。
ミク案件では、 PlayStation Store特別賞をダブル受賞することができたので、「よし今度こそ辞めるぞ!」と再度話に行くと、「ソシャゲがいいらしいから1本任せたいんだよ」と、DeNAさんとファンタシースターのソーシャルゲーム開発のプロジェクトを立ち上げることに(笑)。
――あれ、なんだかデジャブを感じます。
実はハ・ン・ドと接点を持ったのはこの時なんです。
当時、上司であるネットワーク研究開発部の瀬川さんから開発会社の候補としてハ・ン・ドを紹介され、ハ・ン・ドと付き合いが始まりました。
その後、セガを退職。
関西の開発会社で開発統括を経て、仲間と起業し、オリジナル企画を2本リリース後、2013年3月にハ・ン・ドに入社しました。
――ハ・ン・ドに入社した理由はなんでしょうか。
ハ・ン・ドへの入社を決めたのは、ファンタシースターのフランチャイズタイトルの開発でお世話になり、会社の雰囲気も分かっていたこともありますが、やはり直属のボスである東京支社長の明石の存在は大きかったですね。
入社までに2年間ラブコールを貰っていて待たせしてしまったのですが、その間も時々声を掛けてくれて、様々なアドバイス等をしてくれていました。
「あぁこの会社なら人を大事にし、長く良い物を作って行けるだろうな」と思いましたね。
※1:PC-6000シリーズは、新日本電気 (NEC) が発売したパーソナルコンピュータのこと
※2:『マイコンBASICマガジン』(マイコンベーシックマガジン)は、電波新聞社が1982年から2003年まで刊行していたホビーユーザー向けパーソナルコンピュータ(パソコン)関連雑誌。
札幌、東京、名古屋にそれぞれの色
――ハ・ン・ドで携わったタイトルについて教えて下さい。
ハ・ン・ドに入って2日目からバンダイナムコさんから請けていた「ディズニー マジックキャッスル マイ・ハッピー・ライフ」のヘルプに行って欲しいということで数ヶ月札幌本社に勤務していました。
ディズニーさんのIPということもあるのと、規模も非常に大きいプロジェクトだったので、現場がかなり苦労していましたね。
僕は特に難航していたバトルパートの立て直しを担当し、最終的にはプロジェクト全体のマネジメントもヘルプするようになりました。
その後は、東京支社に戻り、GREEさんの「モンスターズインクワールド」やスクエニさんの「千年勇者」の開発プロデュースをメインに業務をしていました。
特に1年目は、自分が今まで学んだ成功体験や失敗体験を全て注ぎ込んで何とか乗り切った感覚ですね。
今思い返してもよくやれたなと思います(笑)
――そのあとは平穏ですか?
デベロッパーなりの悩みは常にありますけどね。
特に最初の転機になったのは、入社2年目の若手プログラマを大抜擢したことかな。
彼は学生時代にマイクロソフト社主催のイマジンカップで入賞した経験があり、優秀だということは知っていました。
ゲーム作りに対してものすごく真剣で、一緒にしっかりと1本作り上げてみたいと思っていたメンバーでした。
タイトーさんから当時サービスしていたアイドルゲームを3Dにしてリズムゲームを作りたいという話を頂き、弊社の中でもUnityに対して造詣が深かった先ほどの若手プログラマをリードに据えたチームを作りました。
この抜擢人事に本人も驚いたと思いますが、中堅・ベテランのプログラマもいたこともあり、もしトラブルがあったとしても後ろにはしっかりとした先輩プログラマ達が控えているんだからチャレンジしようという話をして説得した記憶があります。
あとは「フェアリーテイルブレイブサーガ」のパズルゲームもUnityで開発しました。
当時はまだまだゲーム会社でUnityをしっかり使えている会社が多くなかったこともあり、この2本のタイトルを出せたことでUnityでのお仕事のお話は増えましたね。
この2本は僕がハ・ン・ドに来て最初のターニングポイントだったなと思っています。
今こうやって話すと随分思い切ったチームビルディングをしたなと。
それを受け入れてくれた当時のパブリッシャーのプロデューサーさんには感謝しています。
――ハ・ン・ドさんは家庭用、ソーシャル、アーケードと、開発しているゲームの幅が広いのが特徴ですよね。
そこは26年やっている札幌本社の強さですね。
札幌は現在パブリッシャーも無くなってしまい、ハ・ン・ド含めていくつかのデベロッパーで構成されています。
東京と違って人材の母数も違うし、ゲーム会社自体が少ないので、転職や引き抜き等は東京や大阪等と比べたら圧倒的に少なく、それぞれの会社で人的ノウハウが蓄積されている。
スタッフの経験がずっと蓄積しているというのは東京スタジオ、名古屋スタジオにない強みですね。
札幌に関してはコンソールもソーシャルもアーケードも、何が来ても何とかしてくれるという信頼感がありますね。
一方、東京スタジオは札幌と比べても歴史が浅いというのもありますが、僕を始めとし、大手パブリッシャーでディレクター、プロデューサー、マネージャーを経験し、ヒットタイトルに携わった経験のあるメンバーが数名在籍しています。
パブリッシャーにいた経験から、何が求められているのか?何を表現すべきなのか?という部分に対して、しっかりと提案ができるメンバーがいることは他のデベロッパーとは違う特色の一つだと思います。
とはいえ、札幌本社と比べるとタイトルとしてこれがハ・ン・ド東京の強みだ!という打ち出しがまだ出来てない状況ではありますが、ちょうど今、東京スタジオの強みとなるジャンルのタイトルをいくつかお預かりしている状態です。
まだ発表できていませんが、来年になればハ・ン・ドの東京スタジオと言えばこのジャンル、というものを皆さんにご紹介出来ると思います。
――名古屋にスタジオを作った理由を教えてください。
東京で人を集めにくくなったのが理由のひとつです。
ソーシャルゲーム会社が多数でき、単純にゲーム会社の数が増え、競合が増えたのは大きいと思います。
前々から東京以外でも拠点を作りたいねという話は漠然とあり、大阪や福岡等の名前も上がっていたのですが、弊社は様々な企業様とのお付き合いもあり、その企業様の採用活動の邪魔になってしまうようなことはしたくなかったのと、土地勘の無い場所よりも、その土地に縁がある方がいいという思いもありました。また当時の東京スタジオには名古屋出身のメンバーが多く、数名Uターンを考え始めていたタイミングというのもありましたね。
現在、名古屋スタジオで企画のマネージャーをしているメンバーが弊社に合流してくれることになったのも名古屋スタジオ設立を早められたドライバーになりましたね
彼を始点にリファラルにコアメンバーが集まって来て、いまの基本20数名ぐらいが揃った感じです。
彼らの経歴を見ると30代半ばから40代半ばで良い時代の家庭用ゲーム開発を経験している。
且つ名古屋のソーシャルゲーム会社で開発・運営をしっかり経験したメンバーが揃っている。
現在の名古屋スタジオでは東京スタジオと連携しながらゲーム開発と運営中心のセカンダリービジネスをやっているところです。もう少し人数が揃えば名古屋スタジオ単体でゲーム開発を任せられなと考えています。
100年残る安定のハ・ン・ド
――いろんな開発会社があるなかで、ハ・ン・ドさんの強みについて教えて下さい。
ソーシャルゲームが盛り上がり始めた時代に外部のゲーム会社の方々が「ハ・ン・ドさんもソーシャルに全振りしたらどう?」と言われたことが多々あったそうです。
でもハ・ン・ドは100年残る会社を指向している。
まぁ100年というのは例えで、本質的には未来永劫残る会社を目指している訳です。
だから一本足打法で大儲けを狙うのではなく、バランス良く事業ポートフォリオを組んで安定させ、雇用をしっかりとすることを軸にしている。
そのためにはどこかが凹んでも、必ずどこかで食べられるようにすることが大事だと考えています。
端的に言えば堅実。
ソーシャルが当たっているからといって、そこにリソースを振り過ぎたりしない。
偏りなく様々なゲーム開発が出来る。
それがハ・ン・ドの強みかなと思います。
――HPの取引先一覧を見ると最大手ばかりなので、そことの信頼を築いているのは強みだと思います。
ゲーム開発は様々なことが起きるので、色々とご迷惑をおかけしつつ、なんとかですけどね。
いまの時代は重厚長大なオリジナルを出すのが難しい時代なので、しっかりとした基盤を築きながら、一歩一歩やっている形です。
――年間どのくらいの人数を採用されていますか?
中途は片手を出るか出ないかですね。
新卒採用は例年東京が7~8名。
札幌は数名程度、名古屋は設立して1年ということもあり、まずは既存メンバーのチームビルディングを重視していたので、今年入社の新卒は採用しませんでしたが、来年入社の新卒は既に数名内定を出せている状態です。
ですので、来年度以降は新卒だけで合計で10名超える人数の採用が出来ると思っています。
――業務委託と派遣は多いのでしょうか?
そんなに多くはないですね。
中途には色々パターンがあるのですが、契約で入ってもらって1年後に正社員になったり、派遣で仕事ぶりを見せてもらって、本人が望めばという形があったりします。
うちは試用期間が長くて最大で12ヵ月あるのですが、そこで切った人ってちょっと記憶に無いですね。
――基本的に内部の人員で回す形なんですね。
外部の協力会社さんとお付き合いしながらタイトル開発や運用をしていますが、比較的人数は少ない方じゃないでしょうか。
ひとつの会社から10人も20人も来てもらっている訳ではありません。
――激しい人材の流動はない。
例えばうちの中でも力のあるクリエイターが、大手パブリッシャーのエースチームで仕事が出来るチャンスがあるのでどうしても行きたい!というケースは過去に数回ありました。
僕らとしても実力あるメンバーが抜けてしまうのは物凄い痛手ではありますが、だいたいお付き合いがある会社さんへの転職だったりで、業界全体のことを考えると、そういう転職であれば快く送り出して、また戻って来たいと思えば戻れるような会社でありたいなと思っています。
――マザーズに上場しているゲーム会社から転職する際に、「年収は諦めています」と言う求職者が増えている傾向があるようですが、いかがでしょうか。
あくまでも主観ですが、市場全体が大きくなったことは良いことですが、ソーシャルゲームでのランキングの膠着、ソーシャル・家庭用含め海外勢の力が非常に大きくなった、開発費・運営費の高騰等いくつもの要因によって、以前より簡単に給料を上げ難い環境になったと思います。
――なぜこの話をしたかというと、変化の激しいゲーム業界で、御社は安定的に見えるんですね。商売ではなくものづくりを基盤にして、しっかりやっている会社に見える。
先程もお伝えしたようにうちは大勝ちはしないですが、パブリッシャーさんの期待にしっかり応えられるように着実に歩んでいる会社だと思います。
出来ることとやりたいこと、求められるものとのバランスを上手く取りつつ、着実に会社を成長させていくことが大事かなと。
様々なお客様の案件を預からせて頂いているので、無理矢理ストレッチさせるとどこかで歪みが出て、結果お客様に迷惑を掛けてしまう。
これだけは避けたい。
そういう部分で言うとハ・ン・ドはパブリッシャーさん、協力会社さんに助けられながらも26年間ここまでやって来られている。
確かに派手な会社では無いですが、着実に一歩一歩進んでいる会社なんだということは誇って良いのかなと思っています。
僕もハ・ン・ドに入社してから様々な要因で開発が難航したタイトルも経験しましたが、ここ数年はゆっくりではありますが、社内改革も進めることが出来、メンバー達もしっかりと安心してモノ作りに励める環境が出来上がってきたことは良かったと感じています。
もちろん、まだまだ改善すべき部分はありますが。
――鈴木さんのお陰ですね。
いえいえ、僕が目指しているスタジオの姿に文句ひとつ言わずに付いてきてくれているマネージャーやメンバー達のおかげですね(笑)
――最後に読者へのメッセージをお願いします。
決して派手な会社ではありませんが、現在進行形で大きなタイトルを各拠点で数本仕込んでいる最中です。
今後も話題になるようなタイトルを手掛けられるスタジオになれるよう頑張っていきます。
しっかりと腰を据えて、多くの人に遊んで貰える面白いゲームを作りたい!と強く思っている方であればハ・ン・ドはマッチすると思うので、ぜひご応募して頂けるとありがたいです。
――ありがとうございました。
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