“東京国際工科専門職大学”ってどんな大学? デジタルエンタテインメント学科って何が学べるの? オンライン授業に即応した秘訣を聞いてみた!!

 

実務家教員のノウハウが惜しみなく注がれる授業

 

――実務家教員の例として、お二人のプロフィールを教えて下さい。

 

二村

 

バンダイナムコスタジオという会社でいわゆるゲームクリエイターとしてずっとゲームを作ってきました。

バンダイナムコスタジオはナムコというゲーム会社がバンダイと合併してバンダイナムコゲームスという会社になり、そこから開発部門が分かれた会社になります。

 

ではこの会社をなぜ選んだかというと、ゲームが人を幸せに、人生を豊かにすることを確信させてくれた会社だからです。

私は病気がちで足も弱く、いろいろ不自由な子供時代を送っていたのですが、テレビゲームに出会い、体が弱くても楽しめる、競い合える素晴らしいものと認識していました。

 

そのテレビゲームが世に出てほんの数年で技術は進歩し、そこで出会ったナムコの「ポールポジション」というレースゲーム。

そのブラウン管の中には計算で表現された三次元の世界(疑似でしたが)があり、あまりの臨場感にカーブでは体が倒れそうになったのを覚えています。

そのとき確信しました。

ほんの数年でこれだけ進歩するなら、10年、20年でもっともっと進歩し、現実と区別ができないような、あるいは現実を超えるような体験ができるだろうと。

体が不自由な人でもあらゆる体験を楽しめ、豊かな人生を送ることができるのではないかと。

 

また、ナムコの創業者である中村雅哉が、当時から「21世紀は物より心の価値が高まる、精神性の時代になる」「ゲーム産業は第5次産業である情緒産業である」と語っていたこともきっかけのひとつです。

ゲームの地位が極めて低かった時代に、業界にこんな先のことを考えている人がいる、この人の会社で働きたい、と考えました。

 

――ナムコでは何をされていましたか?

 

二村

 

プログラマーとして入社しましたが、元々電気工学科だったので回路設計を行ったり、休憩時間に趣味で作ったゲームを発売までこぎつけたりと、自由にさせてもらっていました。

 

ポリゴンが出てきた時代には、『鉄拳』という超有名タイトルの開発を横目に、同じ3Dの格闘ゲームである『ソウルエッジ』の開発を行いました。

私は自分なりの技術のロードマップというものを作っていて、ゲームを作る時には今あるものより少し先のものをプログラムやその他工夫で実現することにしています。

『ソウルシリーズ』は対戦格闘ゲームですので1対1で人物を表現しますが、3Dモデルで人物の動きがCG表現されることもまだ珍しかった頃に、今後は人間の感情や知性を表現する流れになるだろうと考え、あらゆる要素を丁寧にゲームに組み込んで行きました。

キャラクタの動作だけでなく表情や目線、セリフ、呼吸などを対戦状況や相手キャラとの関係性などでコントロールし、また背景映像はライティングを駆使して時刻変化や天候や天体の運行などを表現しつつ、キャラクタが武器を振った時の風圧が相手の髪や服に影響するなど、実在感を高めるようにしています。

いろんなゲームが凌ぎを削る中、なんとか存在感を出した『ソウルシリーズ』がアメリカでは200~300万本売れるタイトルになったのはうれしかったですね。

 

ここまでがキャリアの前半で、後半は合併してバンダイナムコゲームスになった後ですね。

バンダイナムコゲームスになった後は世界中を飛び回る時期があって、そこからプログラマーというよりは、プロデューサー、ディレクター、ローカライズといった立場を経験して、ソーシャルゲームの現場へと移りました。

 

会社が新しいことを始める時には、そこに送り込まれる立場だったのですが、これはとても幸せなことでした。

スマホのゲームは開発と運営が一体であり、集客や集金のこともゲームデザインに含まれていなければならない、新しいクリエイティブの形です。

スマホのゲームの売り上げ最大化に奔走していると、いつの間にか企画部の部長になっていたというのも良い思い出です。

 

最後には、いかに個人が得たノウハウを社内に還元するか、あるいはゲーム開発のワークフローの構築や、プロジェクトを回す仕組み作りや、社員の情報共有と意識レベルの向上などを考えていましたので、その後教員に、というのも自然な流れとも言えます。

 

――蛭田さんはいかがでしょうか。

 

蛭田

 

私は以前にもゲームクリエイターズでインタビューを受けているので、そちらを参照していただくのが早いかもしれません。

 

※【前編】女流棋士・香川愛生とゲームクリエイター・蛭田健司による株式会社AKALI! 将棋界とゲーム業界の双方を発展させる挑戦とは!?

https://game-creators.jp/media/column/099/

 

抜粋してお話しすると、スタートは二村先生とすごく似ています。

私も病気で体が弱く、ゲームに救われるという体験からゲーム業界を志しました。

 

二村先生と異なるのは、そこから経営や事業プロデュース、個人プロデュースなど、今もあらゆる物事のプロデュースを行っていることです。

同じゲーム業界で二十数年過ごしてきて、全く異なるキャリアを形成している点は面白いですね。

 

私のキャリアを一言でまとめると、「垣根を越える」ということだと思います。

例えばエンジニアとアートやプランニング、サウンド、別のセクションを繋ぐというのが、開発の中で垣根を越えるということです。

 

さらに会社の中で開発と人事、経理、採用や育成などの垣根を越えて繋いできました。

副業や勤めた会社も多く、様々な垣根を飛び越えて、今では大学の教員をパートタイムでやりながら、自分の株式会社を経営しつつ、総務省のアドバイザーをやっています。

さらに言うと、NPO法人国際ゲーム開発者協会日本の正会員という立場もあります。

一人産学官連携ですね(笑)。

 

私のように様々なことをやっている人と、二村先生のようにフルタイムで教員をしている人が同じ実務家教員として存在しているのは、本学の大きな特徴だと思います。

 

――ほかに何か学校の特徴として話しておきたいことはありますか?

 

二村

 

映像編集やモーションキャプチャができるスタジオなど、学校の設備が充実している点も伝えておきたいのですが、時期が時期だけに学生も教員も学校に行かない状態ですので……(笑)。

こちらにつきましては、公式サイトを見てもらえればと思います。

 

専門職大学の有用性を社会に示すため、我々はどんどん変化するデジタルエンタテインメントの世界に適応できる、あるいは適応したいというやる気のある人を求めています。

 

本学であれば過去にプログラムを学んでいなくても、あるいは自分のことを理系だと思っていなくても楽しく学び、その後に社会で活躍できることは改めて伝えておきたいです。

 

――最後に、読者へのメッセージをお願いします。

 

蛭田

 

これまで大学の入口の話をしてきましたが、最後に伝えたいのは出口の話、つまり卒業後に関する話です。

 

時代の流れは本当に速くて、ゲーム業界自体も様変わりしています。

その中で、ゲーム技術の活用分野もどんどん広がっています。

ゲームクリエイターという存在は単にゲームを作るだけでなく、技術を社会のほかの分野、教育、医療、AI、金融、建築などに展開する役割も担っています。

 

これからの専門職はひとつの分野に特化していればよいということではなくて、垣根を越えることも求められてきます。

他の分野の知識があった上で、専門分野の知識がしっかりとある人、その専門の知識を他の分野に展開できる人がより活躍できるようになっていきます。

 

ですから、狭いエリアに閉じこもっていたい、デジタルエンタテインメント学科だけで他の学科と交流したくないという考え方ではなくて、多くの人間と交流するオープンなマインドを持って学び、卒業後も分野にとらわれず活動するイメージを持っておくと良いと思います

 

もしかしたら会社や組織にも囚われず、社会全体で活躍していけるかもしれません。

そんな人材になりたい方はぜひ、東京国際工科専門職大学に来てもらえればと思います。

 

二村

 

繰り返しになりますが、エンタテインメントは人を幸せにする、人生を豊かにするものです。

エンタテインメントに関わる仕事は、一生をかけられる素晴らしい仕事であることを伝えておきます。

 

本学のデジタルエンタテインメント学科は新しい技術を組み合わせ、必要なものは発明し、発想を実現していく、そしてそれを収益に繋げるための学びの場です。

 

ただし、覚悟しておいて欲しいのは、最初に就いた仕事は10年後にはまったく違う形になっているだろうということです。

その後も常に変化していくでしょう。

時代の流れがとても速いからこそ、東京国際工科専門職大学で10年後、さらにその後の仕事に適応できるような、続けていけるような姿勢と方法を学んで下さい

 

――ありがとうございました。

 

東京国際工科専門職大学 デジタルエンタテインメント学科にご興味のある方はこちら!

URL:https://www.iput.ac.jp/tokyo/course

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