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グローバル化を加速! サンライズ新社長・浅沼誠氏が語る、バンダイナムコグループ最新IP戦略!!

バンダイナムコエンターテインメント、バンダイナムコオンラインなどで重役を務めた浅沼誠氏が、2019年4月にサンライズの社長に就任されました。

バンダイナムコホールディングスの取締役も務める浅沼氏は、IP戦略の加速強化を担っています。今回は浅沼氏の概歴から、サンライズやバンダイナムコグループの最新IP戦略について幅広くお話を伺っていきます。

 

アニメから始まりアニメに帰る

 

――主にIP戦略の話を伺いたいのですが、その前に、まず浅沼さんの過去の経歴から教えて下さい。

 

僕は1986年にネットワークという バンダイの子会社の映像ソフト会社に入社しました。

この会社は後の、バンダイナムコアーツ(旧バンダイビジュアル)の前身となる会社です。

 

いまでもそうですが、バンダイナムコはバンダイナムコスタジオというゲーム開発等を手掛けるクリエイター集団の会社以外、ほぼプロデュース職やメーカーとしての採用が主です。

 

当時も同じで、自分で手を動かして映像を作る訳ではなく、メーカーの担当者として、企画を作っていました。

若い人には通じないかもしれませんが、ビデオがまだ一般的じゃなかった時代です。(笑)

 

ここで先輩の鵜之澤伸さん。

後のバンダイナムコゲームス社長が、『機動警察パトレイバー』を大ヒットさせて、OVAと呼ばれるオリジナルビデオアニメの時代が始まります。

その時僕は、鵜之澤さんのアシスタントとして、OVAの企画制作などをやっていましたね。

 

この5年間が1番仕事を覚えた時期です。

社員が10人いない部署なので、なんでもやりましたよ。

例えばなかなかスタジオに来ない某監督の対応とか。

 

同時進行で別の仕事も抱えて忙しい身ではあったんですが、こちらも仕事としてとにかくスタジオに来てもらわないと話にならない。

それでどうしたかというと、彼のアパートの前でずーっと帰りを待っていて、見つけたら腕掴んで連れて行くんです。

そんな仕事までやっていました。

 

いまサンライズでアニメーション業界に違和感がなく、仕事の内容が理解できるというのは、この時からアニメにかかわっていた賜物です。

 

――その後、ゲーム業界へ移られるのですね。

 

1990年~1991年になるとゲームハードの性能が上がって、ゲーム内で映像が流せるようになった。

するとビデオゲーム事業部に映像のわかる若手が欲しいという話になって、ゲームが大好きだった僕が異動することになりました。

 

バンダイがファミコンではじめて作った『キン肉マン マッスルタッグマッチ』は、定価4,900円と高単価ながら100万本売れたんです。

これが500円のフィギュアを1万個売るといった商売をしていたバンダイに衝撃を与えました。

 

異動したのはちょうどそんな時期です。

7~8年くらいはコンシューマをやっていて、ガンダムのゲームを何本か手がけました。

 

その後、デジタルエンジン・プロジェクトという大友克洋監督の『スチームボーイ』に関わった後、バンダイネットワークスというモバイルコンテンツの会社に行きました。

当時はiモードの全盛期でしたね。

2006年にはナムコと統合して、バンダイナムコゲームスが誕生し、バンダイネットワークスも2009年に統合されました。

 

――統合することで、総合エンタテインメントの会社になったということですね。

 

最初は大変でしたよ。

バンダイとナムコは似ているから、統合したら上手く行くんじゃないかと思われていたんですが、やはり別会社同士なので最初はそうそう上手くは行かなかったですね。

 

文化風習が全く違うため、現場ではそのすり合わせが大変でした。

しかも両社とも癖がめちゃくちゃ強かった。

2009年は赤字にまで落ち込み、このままではまずい、なんとかしなければ!…という雰囲気にまでなりました。

 

その時に僕は執行役員として、あちらこちらで対応に追われました。

2年くらいで第二事業部というところを立て直した時には、改めてお互いの長所を活かせる体制にすべく、拠点分割やチーム再編を行いました。

 

そうしたら、当時の社長判断で僕はナムコ寄りのチームに行くことになって。

 

そこで2~3年やって軟着陸したタイミングで、ナムコ側とバンダイ側とそれぞれの良さを踏まえたうえで再編成することにしました。

 

その間にナムコとバンダイで別々に作っていたPCゲームをまとめたバンダイナムコオンラインという会社が設立されていたので、その管轄もということで、社長も兼任しました。

 

他にもメディア部という版権を扱う部署の海外担当になったり、遊技機の部署、アミューズメントゲーム開発部署など、ゲーム業界のさまざまな開発経験を積んでいきました。

 

そうした中で、グループとしてはゲームと映像の融合進化を目指そうということで、ゲーム業界経験の長さとアニメーションの見識を買われて2018年4月にサンライズに異動しまして、今年から社長を務めることになりました。

 

 

新たなIPを生み出すことがサンライズの使命

 

――すさまじい経歴ですね。

 

バンダイナムコグループ全体として若手だけでなく役員レベルでも会社横断で交流をしていかなければならない。

 

けれどサンライズはグループの中でもアニメーション製作というメーカーとは違う業種の会社なので、どういった人材を交流させるのが良いのかということが問われて。

そこでアニメーション製作の経験がある僕に声がかかったんだと思います。

 

当時サンライズの社長だった宮河恭夫さんが、僕のバンダイ時代の上司で旧知の仲だったことも大きかったですね。

 

――特に記憶に残っている仕事というと、どれでしょうか。

 

特に大変だったのはバンダイナムコゲームスですね。

バンダイナムコスタジオと分社する前だったので当時2000人と大規模でかつさまざまな趣味嗜好や適性を持つ人材を統括することは大変でした。

 

ナムコ系は『アイドルマスター』シリーズ、『鉄拳』シリーズをはじめオリジナリティの高い自社IPを山ほど持っていたし、バンダイはヒット商品への臭覚が強みで営業能力が高く、ものを売って拡げることが上手だった。

 

真心を込めて真摯にじっくりものを作る会社と、時流に乗ってものを売る会社が一緒になっている訳ですから、最初は見解の相違も正直、大きかったです。

 

そんな中、両社の強みを活かせたのが『アイドルマスター シンデレラガールズ』だったんです。

それまで『アイドルマスター』シリーズはアーケードゲームや家庭用ゲームが主戦場だった。

それが『アイドルマスターシンデレラガールズ』でソーシャルゲームに参入したことでいっきに裾野が広がりました。

それによってシリーズものとしてのIPの強さを再認識する契機となったんです。

 

それまでは、家庭用ゲーム、モバイルゲーム、アーケードゲーム、プラモデル、玩具といったメーカー軸で考えていたのを、グループ全体を通じて部署や会社を一気通貫したIP軸で考えるやり方に変えたんです。

 

そうしたらある意味、とても分かりやすくなりましたね。

同じ目的意識で同じ方向に向かう強みです。

会社や部署関係なく重点IPをグループ社員みんながチームとして一緒に盛り上げていく、それがすなわち各社の売上向上にもつながる……というIP軸戦略です。

 

そうなると今度はIPの創出や拡大が大事になって来るのですが、グループ全体でなかなか新規IPを生み出せていないのも現状です。

「ガンダムシリーズ」は40年、「テイルズ オブ シリーズ」や『鉄拳』は約25年、『アイドルマスター』シリーズも来年2020年には15周年とかなり長いシリーズになっています。

 

売り上げの上位も、『ドラゴンボール』、『ワンピース』と原作ものが牽引しています。

 

そんな、新規のオリジナルIP創出が待望されている中、300タイトル以上、しかも大半がオリジナルIPを生み出してきたサンライズに期待が高まっています。

 

――言われてみれば、サンライズも独自のIPをずっと生み出し続けている会社ですね。

 

こんなにたくさんのオリジナルIPを作っている会社は、旧ナムコとサンライズぐらいしかない。

量産する中でヒットの確率を上げ、しかもホームランも出せる。

今いちどその原点に立ち返ろうという気概でやっています

 

 

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