時代を見据え、新しい事にチャレンジを続けるゲーム開発会社、株式会社ランド・ホー!優秀な人材が育つ会社の魅力と今後の展開に迫る!!

様々なプラットフォームのゲーム開発を行い、高い技術力を元に「新しい楽しさ」を常にユーザーへ提供してきた株式会社ランド・ホー。

時代の変化に合わせ、新しい事にチャレンジし続けるランド・ホーの魅力と今後の展開について、代表取締役社長 塚本昌信氏(写真左)と人事総務部 採用広報課 課長 塚原爾奈氏(写真右)にお話を伺いました。

 

■やりたい事をやれる会社に。8人で始まったランド・ホー

 

――まずは塚本さんがランド・ホーを立ち上げるまでの経歴を教えてください。

 

塚本

大学卒業後最初はセガに入社しました。

メガドライブの『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』が出る前くらいの頃ですね。

僕内定もらったあとで2年間留年したんですよ(笑)。

何故かは未だに不明なのですが、その間ずっと会社が入社を待ってくれていたんですね。

 

入社して配属された部署は、海外営業部門。

当時、メガドライブがアメリカでものすごく売れてたんです。

ソフトウェアのマーケティングが主な仕事で、英語が飛び交い、英語ができないと仕事にならない部署でした。

 

――塚本さんは元々英語が得意だったんですね。

 

塚本

全く(笑)。

当時の僕は全然英語ができないし、英語ができるなんてそもそも一言も言ってないんです。

だからこれは、入社を2年待たせてしまった罰ゲームなんだなと思っていました(笑)。

それでも習うより慣れろで3ヶ月くらいすると、なんとなくこなせるようになって、いまでは最初の配属先にすごく感謝しています。

 

その後、上司がコンソールソフト開発のスケジュールや予算、開発の管理をする部署に移ったので一緒に移る事になり、そこでプロダクトマネジメントをやっていました。

タイミング的にはセガサターンが立ち上がる少し前くらい。

社内的にもメガドライブが徐々にシュリンクして、サターンに対する機運が盛り上がってきていた時期ですね。

 

最後に誰かがメガドライブを看取らなくちゃならなくて、開発サイドでその仕事をひとりでやっていました。

それが終わったあとは日本国内市場のソフトウェアマーケティング部門に異動して、サターンのセガブランドタイトルの半分くらいを担当していました。

 

――え、半分も?すごい数出てたと思いますが……。

 

塚本

月間3~4タイトルくらいかな? いま思うと、すごい数ですよね。

夜の12時まで働く前提で、仕事をしていました。

SCEで「みんゴル」シリーズのプロデューサーをして、いまはフィラメントという会社社長の池尻とふたりで、半々でやっていましたね。

 

メガドライブの時は、「開発が好きに作ったものを、どう売るか」がマーケティングの仕事だったんです。

ですが、セガサターンはそうではなく、マーケティング主導の物作りが業界に浸透していく時期だったので、「『この市場をこのタイミングで作りたい』といった市場の企画から、開発会社と一緒にやっていくという」仕事に変化していきました。

 

――開発規模がそれまでの10倍、20倍に膨れていった時期ですね。

 

塚本

それまで4~5人で作っていたのが、40人とかになりましたね。

そうこうしているうちにセガを離れるのですが、そのきっかけは後に一緒に会社を立ち上げる『パンツァードラグーン』のプロデューサーだった近藤智宏でした。

 

彼がいろいろあってセガを辞めたいという話になった時に、僕が会社から引き止めるミッションを受けたんです。

「引き止めろ」と。

辞めさせちゃダメだったんですが、近藤と話をしているうちに、なぜか「いつ一緒に辞める?」という話になって、セガを辞めちゃいました。

 

僕がセガを退職した前後に、塚原も含め8人で辞め、ゼネラル・エンタテインメントという会社にそのまま8人でお世話になりました。

 

その会社で作ったのが、ドリームキャストと同時発売した『ペンペントライアイスロン』。

他にも、ゼネラル・エンタテインメントに元からいた開発メンバーをマネジメントする形で、『ゴジラ・ジェネレーションズ』にも関わりました。

 

ドリームキャストと同時発売されたタイトルは全部で4本あって、実は『July』は僕がセガにいた時に立ち上げたタイトルなので、4本のうち3本にがっつり絡んでいました。

その年が人生で一番働いた年です。

 

――かなりハードスケジュールだったかと思いますが、実際どのくらい働いていたのですか。

 

塚本

あとで数えたら、年間273日、会社に泊っていましたね。

帰りたくないわけじゃなかったんですけど、当時はどうしようもなかったですね。

 

ハードの立ち上げ時期って、「いつまでに何のライブラリができます」という計画があっても、実際には全然間に合わない事が多い。

そうなると力技でなんとかしなきゃいけなくて、開発期間を作るために寝ないという選択肢しかなくなってしまうんです。

 

――その後、どのようにランド・ホー立ち上げられたのでしょうか。

 

塚本

大人数になるとやりたい事ができなくなってくるという理由で、セガを辞めたのですが、どこの会社に所属していても、人数の多さに関わらず形自体は変わらないと気づいたんですね。

だからやりたい事をやるためには自分たちで会社を作るしかないと、当時はほんと何も考えずに会社を作りました。

 

僕が社長になったのも、他のメンバーが全員開発畑だったからというだけです。

「とりあえず、俺が社長やっときますわ」って言ったのをよく覚えています。

そこからずっと社長をやっていますよ(笑)。

 

 ■ランド・ホーが携わってきたタイトルと開発のこだわり

 

――『ランド・ホー』で作ったもので、印象深いタイトルを教えてください。

 

塚本

競馬のゲームは会社を立ち上げてからずーっと作っています。

プラットフォームやクライアント様は変わり続けながら、いまだに開発し続けているので、競馬ゲームを開発させたらどこにも負けないノウハウはあると思っています。

 

――『ダビつく(ダービー馬をつくろう!)』が代表作ですね。

 

塚本

『ダビつく』は、『ダビスタ』に勝ちたいという一心で作っていました。

『ダビスタ』で不満に思っていたところを全部解消してやろうという事がスタート地点でした。

 

基本的に会社が存続し続けるにあたって、「皆様の生活に何らかしらの役に立ちたい」という気持ちがすごくあるんです。

その流れで脳トレ系のゲームを作っていた時期もありました。

それと、ランド・ホーではTV番組も作っているのですが、それは今だとNHK Eテレ「えいごであそぼ with Orton」だったり、教育番組がほとんどなのです。

 

ハイエンドなユーザーと小さな子どもたちというのがゲームの大きな2つの市場なのですが、その両方のユーザー対しても、開発したゲームを純粋に楽しんで貰うのはもちろんなのですが、ゲームをプレイした事で、それ以外の面で結果的にああよかったなと思って頂けるものにしたい。

ですので、そこは大事にしています。

 

――子供向けでは、UBIソフトの『Just Dance Kids』シリーズを開発されていましたよね。

『Just Dance Kids』シリーズでは開発の時にどのような事に気を付けていたのでしょうか?

 

塚本

お子さんってそんな激しいダンスができるわけではないので、どうやって気持ちよく遊んで貰うか、というのをすごく考えて作りました。

『Just Dance Kids』に限らず、社員が子供や家族に「これを作っているんだ」と、胸を張れるタイトルを開発している会社でありたいとは常に思っています。

 

 

■社員の誰もが、自分の作りたいものを発案できる

 

――御社が求める人材というのはどのような人物でしょうか。

 

塚本

最終面接は僕が担当するのですが、他の要素は既にクリアしてきてその場にいるという前提で、その時に見るのは2点だけ。

ひとつは本当にゲームが好きかどうか。

ゲームを開発していて、これで完成って事にしようと思えば、極端な話いつでも完成にできる。

でもそこからより良くしようと積み上げのプラスアルファ分を頑張るには、本当に好きじゃないとできないんです。

どの仕事でもそうなのかもしれませんが。

 

世の中で評価されたゲームっていうのは、皆のそういった努力が結集したゲームだと思うんですね。

だから本当にゲームが好きかどうかをまず見ます。

 

もうひとつは会社にカラーが合うかどうかです。

優秀だけど会社に合わない、能力が高いがあまり協調性のない人に入ってもらった事もあるですが、最終的にやはりお互い不幸な結果になっちゃうんですよ。

それは避けようと思っています。

 

――御社に合うとは具体的にどういった方なんでしょうか。

 

塚本

うちの会社の雰囲気というのは、一言で言うと和気あいあいですかね。

20年社長やっていて、僕のほうから「これやれ」とトップダウンで物を決めた事がないんですよね。

ほんと一つもない。

たまにはわがまま言わせてほしいくらい。

社員から「この会社とやりたい!」とか、「こういうものを作りたい」といった意見をどうやって拾い上げて、どのように形にできるかの道を探すのが、僕の仕事だと思っています。

 

そういう意味で和気あいあいというのは、こうやりたい、あれやりたい、というコミュニケーションをとりやすいという事です。

それが会社のカラーや、企画にも出ているんじゃないでしょうか。

 

――逆に言うと、そういった意見を自ら言える方が、御社で活躍できる方なんすね。

 

塚本

自分で考えて、それを周りに話せる。

自立できる、自走できるというのは大事にしています。

 

失敗したとしても、それはひとりが責任を負っている訳じゃない。

極端な話をすると全部会社の責任なので、仕事に対して受け身になって欲しくはありません。

僕自身が自分は責任を取るためにいるようなものと認識していて、それは下にまで浸透しているので、失敗者を攻撃する文化はないですね。

 

僕の考え方として、「生活あっての仕事」というものがあります。

家族があって家庭があって、自分の時間があってはじめて仕事って成り立つものだと思うので、その基盤はおろそかにして欲しくない。

僕も昔と違って生活を大事にしますし、社員全員そうであって欲しいと思います。

 

――今後10年のビジョンはありますか?

 

塚本

会社を作ったのは29歳の時。

当時はその日、食えればいいやと思ってやっていました。

でも気付くと社員も増え、僕らも50歳を超えて、あと何年働けるかというのが見えて来た。

僕らがいなくなった後の会社をどうするのかを考えなきゃいけない時期です。

 

会社としての財務体制を次に残せるようにどうして行くのか、そこが今後10年での僕のミッションかなと思います。

 

開発では、弊社はコンソールも開発しているし、スマートフォンも開発&運営しているし、オリジナルタイトルや受託も混在しているし、ゲームに限らず常に新しい事、最近だとバンダイさんとガチャガチャに液晶画面がついた「くじガシャポン ウルトラマン アバレンボウル」(https://ab.gashapon.jp/)や、ソニーさんが3月に発売したお子様向けの知育玩具「toio」(https://toio.io/)の対応コンテンツなども開発していたりして、並べると節操がないように見えます(笑)。

 

でもこれって全部、現場がやりたいって言ったものを形にしてきただけなんですね。

全て新しいチャレンジの結果なんです。

それを続ける事ができるように、会社の環境的にも投資できる態勢を守っていきたいと思っています。

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