新たなスタートを切った、株式会社アールフォース・エンターテインメント。顧客の人生を変えるゲーム制作とは? 333タイトル以上の開発実績を持つ会社の魅力に迫る
大手パブリッシャーからの直受託で、著名タイトルの開発に携わり、多くの企業から高い開発力と運用体制を評価されてきた、アールフォース・エンターテインメント。
今回は同社代表取締役社長の横山裕一様に、その人生や会社の特徴、働く環境、また今後の展望についてお話を伺いました。
●フリーターからゲーム会社の社長へ
――まずは横山さんご自身のキャリアについてお話を聞かせて下さい。
僕のキャリアを一言で表すと、「とても運がいい!」になると思います。
通常、ゲーム会社の社長になる方は、ゲーム会社に勤めてから独立というパターンが圧倒的に多いかと思いますが、僕はというと、学生時代からインディーズで4本ほどのゲーム制作を経験しながらも業界には就職できず、24歳までずっとサービス業を中心に、いわゆるフリーターをしていました。
だけど今、こうして仲間たちとゲームを作っている。
いやぁ、本当に運がいいとしか言いようがないですね。
――インディーズで制作されたゲームは、どのような内容なのでしょうか。
一番売れたのは『メタ女』というマルチシナリオ、マルチエンディングのシミュレーションRPGですね。
ありがたいことに、ファンの方々がHPを作ってくれたり、エミュレータで配布したりしてくれていました。
――元々ゲームはお好きだったんでしょうか。
ゲームはもちろん好きだったのですが、元々は映画監督とか脚本家とかになりたかったんです。
でも、なり方がわからなかった(笑)。
そこで、まずは小説を書いてみようと同人活動をしていたところ、ゲームサークルをしている友達から、「ゲームマニュアルを書いてほしい」とお願いされました。
ただ、残念なことに僕がマニュアルを書いたゲームは完成しませんでした。
ある日、サークルのリーダーに「僕にゲームディレクションを任せてくれないか」とお願いして、小規模のクイズアドベンチャーゲームを作ったのがゲーム制作の始まりです。
今では笑い話ですけど、当時は作ったゲームソフトの売り方がわからなくて、「ゲーム作ったんで買って下さい」と、パソコンショップに直接売りに行ったんですよ。
スーツを着てね。
そしたら、お店の方から「流通を通して」と言われ、初めて問屋というシステムを知ったんです。
ですが、熱意は伝わるもので、「委託販売で売ってもいいよ」と言ってくれるお店が何軒かあったんですね。
当時、僕は常にハードディスクとSASIカードを持ち歩いていて、パソコンショップを見つけたら、デート中だろうがなんだろうが、営業していましたね(笑)。
結局、1000本くらい売りましたよ。
――すごいですね!
手売りでこれだけ売れたんだし、これはこの業界でメシが食えるんじゃないかと盲信して、結構な数のゲーム会社を受けました。
が! 学歴的には高卒だし、元コックだし、面接する会社の下調べもせずに受けたりしていたので、当たり前ですけど全然通らないですよね。
仕方なく、飲食以外にも色々なアルバイトをしました。
24歳の時にDDIポケット、今はなきPHSの販売代理店に勤めたこともありました。
当時PHSでは、端末同士で簡単なメッセージがやり取りできたんですね。
今で言うSMSみたいなものですね。
それを見て、「あれ? これはデータ通信できてるってことだから、いつかはこのような携帯電話でネットワークのゲームができる時代が来るぞ」とか思っていました。
――まだiモードもない時代に、ですか?
当時、オラクルが提唱していた、ネットワークコンピュータという思想がありまして、まさにこの携帯電話こそそれじゃないか、と感じたんですね。
そうこうしているうちに、前述の「メタ女」を市販版として売ってくれていた鎌倉の会社から、「ゲームのプロデュースをしてくれ」とお誘いがありまして、個人業務委託として関東に出てきました。
サークル活動時代、月に数万円だった僕の報酬は、一気に40数万円に増えたんです。
そうなったら人間、どうなると思います?
――遊ぶと思います(笑)。
ですよね!
もう、朝から晩まで飲んでました(笑)。
なんというか、大阪国民としてなかなか関東の環境に慣れなくてですね、そういうストレスもあり、飲んで飲んで飲まれて飲んでですよ。
その結果、仕事にも身が入らくなり、会社から求められていることができていない状態になってしまいました。
本当にあのときは、ゲーム制作から身を引こうとすら考えていました。
そんな落ち込んでいた自分を励ますために、同人時代のサークル名【アールフォース】で検索をかけると、九州のとある大学のプログラミングサークルのwebページにたどり着きました。
そのページには、「学生のころに遊んだ『メタ女』というゲームを見てプログラムに興味を持ち、サークルを立ち上げました」と書いてあったんですね。
その時はじめて、僕はゲームによって他人の人生を変えたんだなと、気付きました。
思い起こせば自分がゲーム制作に興味を持てたのも、小さい頃に遊んだ素晴らしいゲームの影響だったわけです。
『プリンス・オブ・ペルシャ』とか『重装機兵ヴァルケン』とか、『ラングリッサー』とか、『飛装騎兵カイザード』とか、もちろんソニック、マリオ、ゼルダ、メトロイドなど、本当に様々なゲームがあって、僕がある。
そして僕は、プログラムサークルを立ち上げた彼の人生を変えた責任を果たしてないな、と感じました。
だからもう一度、しっかりゲームを作ろうと思いました。
でも、どうしていいかはわからなかった。
そんな時に、偶然が重なって、アミューズメントメディア総合学院という専門学校でゲーム学科の先生として働くこととなりました。
その学校で、様々な才能ある生徒たちと出会い、とても勉強させて貰いました。
――味わい深い人生を送ってきたのですね!
専門学校で先生をやっていた時に知り合ったのが、いま弊社で専務をやっている木村です。
彼が関わっていたドリームキャストの『北へ。Photo Memories』というゲームでシナリオ制作を手伝っていましてね、納品に行ったら、全然ゲームができてないと木村が青い顔しているんですよ。
じゃあ手伝いましょうかと、オフィスに押しかけていったら、本当にできていない。
オープニングしかなかったんです。
その時点でマスターアップの1ヵ月前だったのですが、まぁ放っておけなくてですね、「仕様書から作り直します」と、クライアントであるハドソンのプロジェクトマネージャーに毎日直談判していると、ある日「いいから、横山さんの好きにして」と言ってくれまして、押しかけディレクターとなり、木村とあと二名とで最後まで作り切りました。
そのあと、ドリームキャストやプレイステーションのゲームを何本か作っている時にiモードがローンチしました。
この時も運がよく、『北へ。Photo Memories』のプロジェクトマネージャーだった方がモバイル事業の責任者になっていましてね、すぐに相談がきたんですよ。
それからiモードのゲームを次々に制作しました。
――いつ会社を立ち上げたんですか?
『北へ。Photo Memories』を作った時に、とある仕込みをしていたんです。
マスターアップの3日前に新しいドリームキャストのマニュアルが届いて、次のバージョンのブラウザから、メモリーカードにインターネット経由でデータをダウンロードできる仕組みが入ると書かれてありました。
それを見て興奮してですね、木村にダウンロードコンテンツ作れるから、追加シナリオをネットからダウンロードして再生する仕組みを作ってくれと言ったんです。
まぁ、木村は激怒してね……(笑)。
あと3日しかないのに何言っているんだと大喧嘩になりました。
でも翌日、木村が「半分できたよ」って言うんですよ。
「インターネットからシナリオをダウンロードするのはデバッグも必要だし無理だから、シナリオは中に隠して入れてデバッグも終わらせて、ビジュアルメモリーに開放するキーだけダウンロードするようにならできる」とね。
一晩で作ってくれていたんです。
――すごいですね!
それだけではなくて、木村は同時にディスクの中に入っている画像をどれでも合成して写真を作るというシステムも作ってくれていたんです。
これは面白いと思ってプロジェクトマネージャーに話したら、「面白い」って言ってくれましてね、僕、木村、プロジェクトマネージャーの3人で徹夜して、ありったけの写真をディスクに入れました。
マスターの1日前に300MBくらいだったデータが、マスターアップ当日に980MBになりました。
今なら絶対あり得ない、品質保証部もびっくり(笑)。
ただダウンロードのシステムを使うためにはWEBサイトの制作が必要だったのですが、ハドソンとしては個人には仕事が出せないので法人化しろと言われました。
その夜、札幌のファミレスで木村とふたりで相談して、アールフォース・エンターテインメントを作ったわけです。
この時、始めてゲーム会社に就職しました。
●「できない」を諦めないゲーム制作
――次にアールフォース・エンターテインメントの特徴について教えて下さい。
僕たちの会社の目的は、お客さまの人生を変えるほどのエンターテインメントを創造することです。
そのためには『働く人がお客さまのことを考えられているか』ということがとても重要になってきます。
ゲームクリエイターは、自分の作りたいゲームがあるからこそクリエイターになるわけですが、自分が作りたいものを作って終わり、という人とは一緒にやりたくない。
作ることがゴールではなく、自分の表現したものによって、お客さまの何を変えるのか。
お客さまにどう喜んでもらいたいのか、を考えられる人と一緒に仕事をしたいと思っています。
――開発力の部分についてはいかがでしょうか?
弊社ではこれまで、コンソールからPC、ガラケー、スマホまで、333本以上のソフトを作って来ました。
うちのひとつの特徴は節操がないところ。
節操がないというのはなんでもやるという意味ではなくて、なるべく「できない」と言わないということです。
会社の規模が大きくなってきた今では言わざるを得ない時もありますが、それこそ最初のころは無理を通してチャレンジしてみたら世界初だった、といった仕事が結構ありました。
弊社の社員は、『お客さまの人生を変えるエンターテインメントの創造』という目標を皆が認識してくれていて、お客さまために頑張ってくれる。
まぁ、ある意味根性があるんですかね。
根性というのは、ブラック企業的にとにかく長時間働くということではなくて、諦めずにやり切るということです。
諦めずにやるということは、チャレンジするということ。
チャレンジするということは知恵を振り絞るということでして、例え失敗しても成長があるということです。
ガラケーのころに503iという機種で、サッカーゲームを出そうと企画書を出したんですよ。
でも画面にキャラクターを10人出したら動きがカクカクで(笑)。
当時の端末では作るのは無理だなと思いましたが、諦めずにいろいろ調べていたら「横山さん、フットサルっていうのがあるらしいですよ」とスタッフが言い出したんですね。
「フットサルは5対5なんです」って。
早速、フットサル場を調べて担当者と一緒に見にいきました。
5対5なら画面に描画するのは3人か4人で済むので、無事にフットサルのゲームをリリースできました。
それは当時、iモード初のサッカーゲームでした。
厳密に言えば、フットサルはサッカーではないんですけど(笑)。
――当時話題になりましたね。
ドコモさんからは拍手喝采を頂いたと聞いています。
フットサルはスローインじゃなくてキックインというルールがあるんですが、プログラム容量がないからできない。
そこでボールはコート外に出さずに、壁にぶち当てて跳ね返す仕様に変更したりと、いろいろ解決策を考えて対処しました。
結果、より展開にスピード感が出て、楽しいゲームになりました。
できないことに対してチャレンジすると、全部成功する訳ではないけど、できることが増えていく。
それはとても大きいことだと思います。
――その思想がアールフォース・エンターテインメントの開発力を支えているのですね。
もうひとつの会社の特徴は、ゲーム制作に直接関わらない部門が結構あることです。
弊社では約60名の開発メンバーが活躍していますが、この規模にしては珍しくミドルウェアとかライブラリ開発部隊、研究開発部門があります。
ゲームをより早く、クオリティ高く作るために、彼らが下支えしてくれている。
一見無駄に見えるけど、最終的にはほかの会社より工数短くゲームが作れる訳です。
例えばどんなゲームでも使えるだろう課金部分であったり、スクロール、インタフェースの判定、スクリプトエンジン、WEB VIEWなどのライブラリを作ってくれています。
同時に、常にメンテナンスもしてくれていますので、Unity等ベースメントのゲームエンジンがバージョンアップしても問題なく移行ができます。
ですから開発者は安心して開発に専念できるし、そのライブラリがすべてのゲームに入っていますから、製品をリリースすればするほどバグが少なくなっていきます。
●エンターテイメントを通して世界中をよりよい方向に
――働く環境としてはいかがでしょうか? 福利厚生で取り組んでいることなどがあれば教えて下さい。
就業規則を毎年少しずつ変えたり、評価体制も5年に1回くらい大きく変えるといったように、結構な頻度でルールを変えています。
例えば5年前に新たに取り入れた評価体制だと、部長という役職の代わりにディレクターやプロジェクトマネージャーが役職として役職給が払われ、その時の役職と部下の人数で、毎月役職給の額が変わるといったものがあります。
このように、会社の根幹に関わるシステムも、ある程度皆のオーサライズを取った上で変えています。
僕の信念なのですが、会社の価値観やビジョンはぶれませんが、運用のためのルールは時代や会社の現状によって変わっていくべきものだと思うんですよ。
なぜ変えるのかというと、そのほうが時代とお客様にあったものが作れるからです。
こういった職場環境なので、安定を求める人や変わるのが苦手な人はとことん合わない会社だと思います。
また『あさって会議』といって、若手のボードメンバーが会社の明日ではなく明後日を考える会議では、社内で運営されている制度を全てリスト化して、状態について確認しています。
この会議では、あまりに進んでない制度の見直を決めたり、打ち切りを制限したりと、ただ制度を作るだけではなくしっかりと制度を運営できる仕組みを作っています。
他にも、みなし残業を年々減らたり、研修を用意したり、男性の育児休暇の推進や、
いろんな働き方を考えています。
実際、僕も昨年に子供が生まれたので、半年間は時短勤務をしていました。
――会社としてどんな人材が欲しい、という希望はありますか?
ひとつは『お客さまの人生を変える』という我々のビジョンに共感してくれる人ですね。
「自分が小さいころにゲームを遊んでクリエイターになりたいと思った気持ちを、お客さまに伝えたい」と思っている人と、一緒に仕事をしたいです。
エンターテインメントは人間性にまで影響を与えると僕たちは考えています。
例えばいまのロボット工学の現場には、ガンダムやアトムを見てその道に進んだ人たちがたくさんいるはずです。
日本人の価値観そのものも自体も、少年ジャンプやまんが日本昔話に強く影響を受けていると感じています。
特にゲームはワールドワイドだし、今ならスマートフォンでどこででもゲームができる時代になったので影響力は計り知れません。
極端な話ですが、中東で銃を持っている子供たちにスマホが行き渡ったら、世界が変わると思うんですよ。
僕は5年前にカンボジアの田舎の村に行ったのですが、そこは電気が通っておらず、ガイドさんからは地雷に気をつけとて言われるような場所でした。
そんなテレビもない村で、なんと木陰に座った子供がスマホでYouTubeを見ているんですよ。
びっくりして聞いたら、村にWi-Fiがあって、充電はソーラーでしているんですって!
――技術はこう使うんだって例ですね。
ゲームはインタラクティブですから、その他のメディアに比べ、より深くお客さまに気持ちを伝えることができると思っていますので、ハッピーな気持ちを伝えれば、それだけ世界をより良い方向になっていく。
おまけにご飯も食べられるし、子供にも誇れる。
そういう気持ちで仕事をしています。
だからこそ、やっぱり利他的な人と仕事をしたい。
自分が充足しているからこそ、利他的になれると思うので、おもろい会社にしなきゃいけない。
会社を楽しくできる人と働きたいですね。
あとは任天堂さんを超えてやるという気概の人に来て欲しい。
これはハードを作るということではなく。
例えば、『大乱闘スマッシュブラザーズ』をあまり好きではない人でも「よくできてる」って言うんですよ。
ネガティブな人にすらそう言わせるのは、任天堂さんの『信頼感』だと感じています。
任天堂さんを越える『信頼感』をお客様から得られるゲーム会社にしたい。
任天堂さんを超えたい、超えられるんだと思える人と一緒に仕事をしたいと考えています。
――サイバーエージェントグループから独立して、今後の展望について聞かせて下さい。
サイバーエージェントさんにはものすごく勉強させてもらって、感謝しています。
そこから独立して今後我々がやろうとしていることは色々あるのですが、一つはコントローラーに頼らない入力インタフェースの実現です。
iモードでゲームを作ったときに、僕が想像したゲームの未来は、ネットワークへの常時接続と全面タッチパネルでした、つまり現在のスマートフォンで実現されているんですね。
ですので、ここ10年ぐらいはずっとネクストジェネレーションを考えています。
社内に専用の研究開発チームを置いていまして、早ければ2020年には発表できるんじゃないかと思います。
実は2012年のゲームショウに、ペンセイバーというある意味ARのテクノロジーを使ったゲームのプロトタイプを出展していました。
スマホにペンをかざすと、ペン軸がライトセイバーになって、飛んできた果物を切るというものだったんですが、当時のカメラやCPUの処理速度では限界がありました。
でも今は深度を計るセンサーがついていますからね、環境は揃ってきたんじゃないでしょうか。
さらに先の入力技術についても、研究開発を進めているところです。
最終的にこうなるだろう、という技術についてもシミュレーションを進めています。
――新しい技術を使って、エンターテインメントをどんどん作り出しているのですね。
また、これまで完全受託で仕事を受けてきましたが、現在は自社で企画を考えて持ち込みもして、オリジナルソフトの制作も手がけようと準備しています。
――最後に、ゲーム業界を目指している読者へのメッセージをお願いします。
僕はやっぱり運がいい。
計算でやってるんじゃないかって言われることもあるんだけど、もちろん我々にはビジョンもありますから計算して行動していますよ。
だけどまぁその通りになんていかないです。
大切なのは、その時にできる精一杯のことをやれているかどうかだと感じます。
精一杯やっていると、チャンスがきた時にうまく乗っかれるんです。
だからこれから就職を目指す人に言いたいことは、「やり切れていますか?」ということ。
人間ってやっぱりサボりたい生き物ですよ。できるだけ楽をしたい。
だから、誘惑を断ち切り「やり切れる人」の方が強い。
振り返った時に、パッションを持って取り組めたかどうか重要じゃないかなぁ。
最近の子は情熱がないと言う人もいるけど、そんなことはないですよ。
僕は今も週一、専門学校で教鞭を取っていますが、感じ方やアウトプットのやり方が昔と変わっているだけで情熱は変わりません。
YouTuberなんて若い子だらけですもんね。
仕事って面白いですよ。
僕はフリーターでいろいろな種類の仕事をしましたけど、振り返ってみると全部面白かった。
大工もしましたし、客船に泊まり込んでデッキで出店やるような仕事もしましたし、工場のラインでも働いたし、手紙をひたすら三つ折りにして封筒に入れる仕事もしました。
「100日間ずっと作業して」と言われたら、「うーん…」となる仕事もあったけど、どれも楽しかったですね。
そこで楽しんで頑張っていたら、責任者の人に覚えてもらえて次の仕事とか紹介して貰えました。
なにより、全ての仕事の経験が、ゲーム作りに役立っていますしね。
ゲーム開発のディレクションやるようになって、一番役に立ったことって、厨房のチーフで部下のコックに指示出ししていた経験ですし。
時間の許す限りできないことにチャレンジすべきだし、やりきったら経験になる。
そういう体験をぜひ皆さんも積んで下さい。
――その経験を横山さんはこうやってインタビューに答えたり、先生をやって、伝えているんですね。
僕が教育や講演に時間をかけるのは、それは助けてもらったからです。
あの九州の大学の、プログラミングサークルのwebページがなければ、僕はゲーム業界にいない。
あの時、専門学校で生徒たちと出会わなければ、ゲームを作り続けていない。
まぁある意味恩返しかもしれません。
――ありがとうございました。
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